ちゃぶ台の詩
倉庫の片隅に懐かしい、ちゃぶ台が仕舞ってある。オールウェイズ3丁目の夕日に出てきそうな円卓だ。大家族だった我が家ではこのちゃぶ台でめしを食べたわけではない。お客様が来てご飯を召し上がる時に使用したものだ。
ちゃぶ台の足が2本一緒になっている。その足を出して、それを木の板で固定するのだが、今でもギシッと決まって現役で使えそうだ。小豆色がややくすんで昭和30年代の面影を今に残している。
当時は税務署の方が良く見えて、帳簿を検査して行った。当店が別に儲かったわけでもないのだが、酒類を扱う業者はとりわけ厳しかったのだろう。丁度昼頃に一仕事終わるので、お昼の心配をする。今では考えられない光景だが、その時、このちゃぶ台が登場する。近くの食堂に走って行って親子どんぶりを岡持ちで持ち帰る。どんぶりの蓋の上には小皿があって2切れの沢庵。「どうぞ」と言ってちゃぶ台のセットしてある所に母が接待するが、断る人、食べて帰る人、様々だったような気がする。中にはそっとお金を置いて帰る人もあった。
若い署員の場合お断りされる事が多く、経験の差が子供心に感じさせられたが、一番うれしい時だった。親子丼を食べる役割が回って来るからだ。なすの煮た物とはんぺん1枚とでは雲泥の差がある。ちゃぶ台の前に座ってお客様気取りで割り箸をパチを割る。鶏肉の仕込んだ具と玉ねぎに卵を半熟にからげて、とってもジュウシーな仕上がりだ。鳴ると巻きが2切れほど入っていて汁の浸み込んだその味がたまらなくいい。
電気ごたつが登場して依頼、ちゃぶ台の役目は終わった。前出の署員さんも時代の変化と共に来なくなって久しい。どこかでこのブログを見て尋ねて下さってもいいが出せるものは何にもない。雨の1日倉庫を片付けながら昔の思い出に耽ってしまった。
関連記事