大八車
引佐町の歴史民族資料館には昔の農機具がたくさん陳列されている。
中でも大八車に米俵が1俵乗っている姿は当時の面影を今に伝えている。
私は50代であるが大八車は記憶がない。
引佐町の名誉市民から浜松市の名誉市民となった柴原力太郎翁のようすを
聞くにあたり当時を想像する。翁はこの大八車で道普請を無報酬で行った。
元祖ボランティアである。
私の記憶にあるこの手の車はリヤカーと言ってワッパがチューブタイヤ製である。
これは現在でも資源回収などで活躍していたのが記憶に新しい。
大八車、リヤカー、耕運機に箱状の台車をつないだもの、軽4トラックと進化して
農作業や荷物の運搬を改善させてきた。
米俵は1表に玄米が60k入る。二重三重に編まれた藁の細工も見事だが
それを荷おろしした当時の人のエネルギーも驚く。
写真の四角い袋がカマスと言って肥料袋である。堆肥とかを入れた袋である。
カマスと言ってこの袋を想像できる人はもう少ないのではないか?
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㈱マット前
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