はくせっこ

月光乾麺

2006年10月16日 20:59

近くの観音様のお祭りのお札と「はくせっこ」が配られてきた。



井伊谷の3区地内、城山の東麓に足切観音という観音様がある。

普段はだれもいないお堂であるが毎年10月18日にご開帳されて来た。

最近はご時世で働き当番が出やすい日曜日にご開帳が行われるようになった。

15日はその足切観音様のお祭りだったがその謂れはこうだ。



昔、昔、世は南北朝のころ後醍醐天皇第二皇子{宗良親王}は北朝方勢力と戦い、

その戦のさなか足に傷を負ってしまった。この地でしばらく身を隠し、いつしか

気を失ってしまった。ふと目をさますと、傍らの観音様の御足から滲み出る血、

その分、自分の痛みは和らぎ傷もない。これは観音様のご利益に違いない。

丁重に観音様を手当して、ここに観音堂を建立し、お祀りをしたそうな。

と言う訳で、この日は、老若男女が足切観音を訪れる。甘酒、綿菓子が振る舞われ

信心深い人たちや足の不自由さを感じる人たちからの供えものも多数あがり、

お堂の保全にあてられる。老人会の手踊りや信者の念仏も行われるのである。

そしてこのお祭りが終わると祭り当番が「はくせっこ」のお供物といっしょに

届けてくれるのである。この地域では「はくせっこ」と呼ばれているのは

落雁のことであるが読者の中にはその響きに郷愁を覚える方もいるだろう。さっそく

渋いお茶で食べてみた。霊験あらたかな味わいは甘く蕩けて口の中に広がる。一昔前は

祝いにしろ仏事にしろ良く付いて来たが今日のようにおいしくなかった気がする。

祝い事に付いた大きな鯛を模ったものを少しずつ割って食べた当時が懐かしい。

かくして伝統行事の足切観音の祭りは終了した。こうした伝統行事が最近の風潮として

ダサいとか、面倒くさいとかで次第に行事が無くなってしまう傾向にある。祭りを存続す

ることが困難な時代を迎えた。しかしながら昔からの言い伝えを伝承する中にも

地域コミュニティーを無理やり演出した先人の知恵を借りて村の祭りを支えていかなくては

ならないだろうと思う。「はくせっこ」の最近甘くなったのを感じながらふと思いを募らせた。