重子姫の館

月光乾麺

2008年10月23日 14:59

 井伊道政の息女重子姫の館跡と思われる石組みが井伊谷は城山城跡の近くにあるとの文献に従って西の台地を探索した。南北朝の戦乱の世、後醍醐天皇の皇子である宗良親王とのロマンの場がここにあったという伝説の場所だ。

 今は共聴アンテナが立つ、その界隈は草木と蜘蛛の巣に覆われ、とても踏み入れる気がしない所だ。まして一人でとなると薄気味悪いものだ。がんばって草木を分けて進むと立ち木の中に大岩が出現する。この大岩は少年の頃には景色も良く、弁当持参で遊びに行ったものだが、回りの木に囲まれてすっかり忘れ去られた感がする。

 ざっと見て歩くも石組みらしきものは発見できず帰ることにした。宗良親王と言えばこの地域では知られているが、全国的にはマイナーな歴史上の人物のようだ。太平記には2行しか書かれていないと聞いたし、敗者であったがために歴史には名を残さなかったのかも知れない。しかしながら郷土の歴史愛好家が文献を調べてくれたお陰で我々は当時の様子を連想できる。有難いことだし、こういう伝説を地域資源として活用すれば井伊谷の町、あるいは引佐町が活性するかも知れない。まずは石組みの発見にもう一度トライしてみようと思った。